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灯台社とは?

第二次大戦中にメンバーの中から兵役拒否者を出したために弾圧を受けたことで知られるキリスト教系の団体です。(万国聖書研究会(団)とも呼称。)

灯台社は、現エホバの証人(Jehovah's Witnesses)というキリスト教団体(いわゆる正統派の教会からは異端とされる)の日本事務所として1927年(昭和2)に正式に設置されました。聖書の神だけを崇拝し、天皇を現人神として扱わないなど、独特の教理を標榜・宣布したため、1933年(昭和8)に社員の一部が不敬罪等の嫌疑で検挙されました。その後も活動を継続しましたが、やがて徴兵に応じた村本一生氏(Kazuo Muramoro)、明石真人氏(Masato Akashi)らの社員が相次いで銃器返納、さらに同時期に三浦忠治氏(Chuji Miura)による御真影の拝礼拒否などが発生したため、1939年(昭和14)、遂に第二次検挙を受け、社員の大部分が一斉逮捕。その後、宗教団体としても結社禁止処分を受けました。(当時弾圧を受けた宗教団体は、他にも大本教(おほもと)、ひとのみち、ほんみち、創価教育学会、ホーリネス教会、その他幾つもあります。宗教結社とは。 昭和51年国会法務委員会)各社員の獄中での過酷な扱いや、戦後の暮らしぶりについての詳細は、稲垣真美氏の『兵役を拒否した日本人』(岩波新書)を一読されることをお勧めします。

主幹の明石順三(Junzo Akashi)氏は戦後間もなく、ニューヨーク州の本部に団体のあり方に関する質問状をしたためましたが、逆に支部長の立場から解任。その後、灯台社は収束。その後、明石氏は派手な宣伝活動をすることもなく、もっぱら私的な著作活動に時を費やしたと伝えられます。

戦時中の思想を調査する研究者により、当時の関係者の体験談や思想が収集され、幾らかは一般に公表されていますが、時代の経過と共に詳細を知るのはますます難しくなっています。

当ホームページの方角性について

昭和40年代初頭、灯台社にまつわる出来事が佐々木敏二氏や同志社大学(Doshisha University)の研究等で発掘され、それから十数年、灯台社、主幹の明石順三氏、良心的兵役拒否者の明石真人氏、村本一生氏らについての論文が数多く発表されました。しかしこの団体に対する研究熱の気運も一通り山を越え、今はまた灯台社について知る人が少なくなっています。戦後60年も間近になり、戦争体験を、まして当時の兵役拒否のことなど知らない世代が増えています。(わたしも戦争を知りません(^^))

このホームページでは、灯台社についてよく知られている点についてはできるだけ言及を省き、むしろ数十年前に論文等で公表されたものの今ではまた忘れられかけている事実、あるいはこれまでほとんど人目に触れてこなかった資料等を重点的に発掘していきます。そういった情報をホームページというオープンな場所に公表することで既刊文書の情報を一層補足し、灯台社の全体像を浮かび上がらせ、この団体の存在意義とそれにかかわった人たちの人生の詳細を遺していきたいと思っています。(ちょっとクサいかな? プワ~ン)

 

明石氏が帰国した大正15年当時,機関紙ワッチタワーは波打ち際を照らす灯台のような建物を表紙に掲載していた。『地の苦悩,海と(落ち着きなく,悶々たる)波の轟音』が轟くような世の中で暮らす民衆に,神の御国の近きを知れと説いていた。

明石氏が帰国した大正15年当時、機関紙Watch Towerは
波打ち際を照らす灯台のような建物を表紙に掲載していた。
『地の苦悩、海と(落ち着きなく、悶々たる)波の轟音』が轟くような世の中で
暮らす民衆に、神の御国の近きを知れと説いていた

灯台社の名称の由来

灯台社のパイオニア制度

灯台社についての資料はこちらをご覧ください。

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