(敬称略)
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名前 | 概要 | Name |
日本 | Japan | ||
相川 忠蔵(相川 忠造) | 1904年頃誕生。元ホーリネス教会員。和歌山県海南市南野上で活動した米沢出身のヨナダブ。妻と共に燈台社事務所で作業。後に妻と娘は明石順三と折り合いが悪くなり棄教。1941年(昭和16)12月1日、熊本で検挙(37歳)、拷問に遭う。戦後は、灯台社で活用した製本技術を生かし製本業と文具業を営む。灯台社は解体していたが、個人的に聖書解説をメモし、独学を継続。1965年頃、エホバの証者と再会し、活動を再開。1980年代に死去。 |
Chuzo Aikawa | |
赤坂 賢一 | 1940年(昭和15)9月25日、和歌山県で検挙 | Kenichi Akasaka | |
赤坂 政吉 | 和歌山県海南市南野上で活動したヨナダブ。1940年(昭和15)9月25日、和歌山で検挙 | Seikichi Akasaka | |
赤坂 千代 | 1940年(昭和15)9月25日、和歌山で検挙 | Chiyo Akasaka | |
赤坂 美天 | 和歌山の灯台社員。特高月報昭和13年8月分97ページの「宗教教師、信者等の要注意言動」に掲載 | ||
赤坂 静枝 | 1913年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(26歳) | Shizue Akasaka | |
明石 順三 | 1889年(明治22)生~1965年(昭和40)死去。灯台社の主幹。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(51歳)。文書の編集 | Junzo Akashi | |
明石 力(つとむ) | 1920年生~1944年死去。順三の次男。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(20歳)。製本担当。順三の投獄中に明石姓から転籍した。その後、召兵に応じ戦死。 | James Tsutomu Akashi | |
明石 真人 | 1917年誕生。順三の長男。1939年1月に軍事教練を拒否。三好十郎の戯曲、「その人を知らず」は真人氏をモデルとしている | Robert Masato Akashi | |
明石 光雄 | 1922年生。順三の三男。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員。印刷部 | John Mitsuo Akashi | |
赤松 静枝 | 大阪でパイオニヤ(コルポーター) | Shizue Akamatsu | |
赤松美哉子(旧姓:齋藤) | 1907年(明治40)7月20日生。赤松今朝松の妻。齋藤光の姉。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(33歳)。文献の翻訳手伝い、事務会計、通信の助手。海外との事務上の通信も服務 | Miyako Akamatsu( birth name: Miyako Saito) | |
東 豊秋 | 和歌山県海南市南野上で活動した兵庫県出身のヨナダブ | ||
石井 治三 | 1900年頃誕生。仙台でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、広島で検挙(39歳)。戦後もエホバの証人の活動を継続 | Jizo Ishii | |
石井 マツエ | 1908年頃誕生。仙台でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、宮城で検挙(31歳)。戦後もエホバの証人の活動を継続 | Matsue Ishii | |
石田 壽枝 | 1916年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(23歳) | ||
出井 みよ | 出井尤裕の妻。台湾で主に活動。1905年頃誕生。1930年頃に落合三郎と接触したのがきっかけで活動を始めるようになる。1939年(昭和14)6月22日逮捕されるが一晩拘留された後釈放。戦後もエホバの証人として活動。 | Miyo Idei | |
伊藤 保 | 神戸のヨナダブ | ||
伊波 増栄 | 那覇で一時期信仰 | ||
犬飼志やう | 和歌山県海南市南野上で活動した名古屋出身のヨナダブ | ||
井上幸四郎 | 1891年頃誕生。静岡でパイオニヤ(コルポーター)。1941年(昭和16)12月1日、熊本で検挙(50歳) | Koshiro Inoue | |
井上 幸枝 | 静岡でパイオニヤ(コルポーター) | ||
井上リツ子 | 静岡でパイオニヤ(コルポーター) | Ritsuko Inoue | |
岩崎 喜一 | 1908年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(31歳)。発送主管 | ||
上田 文吉(丈吉) | 1893年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1936年(昭和8)、検挙。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙 | ||
上田長次郎 | 1882年頃誕生。和歌山県海南市南野上で活動した京都出身のヨナダブ。1939年(昭和14)6月21日、京都で検挙(57歳)。1947年(昭和22)9月死去。 | Chojiro Ueda | |
遠藤 春吉 | 和歌山県海南市南野上で活動した秋田県出身のヨナダブ | ||
大江 頼一(よりいち) | 1910年頃誕生。台湾でパイオニヤ(コルポーター)。1930年代、台湾で当時“藩人”と呼ばれた高砂族(現在では高地人と呼ぶ)の間で普及に努めた。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(29歳)。1945年頃、銃殺 | Yoriichi Oe | |
大澤 文子 | 1867年頃誕生。宇都宮でパイオニヤ(コルポーター)。1941年(昭和16)12月1日、熊本で検挙(74歳) | Fumiko Oosawa | |
太田 幾松 | 1908年頃誕生。兵庫県出身。山梨県でパイオニヤ(コルポーター)。1933年(昭和8)、検挙。1939年(昭和14)6月21日、山梨県で検挙(31歳)。1940年(昭和15)起訴予審。戦後、エホバの証人と再開し、活動を再開した | Ikumatsu Ota | |
太田 鶴子 | 和歌山県海南市南野上で活動した栃木県出身のヨナダブ | Tsuruko Ota | |
岡本 友吉 | 和歌山県海南市南野上で活動した京都出身のヨナダブ | ||
奥村豹太郎 | 1895年(明治28)1月23日生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(45歳)。事務会計、通信の主任。『通知』の編集 | Hyotaro Okamoto | |
奥村 さだ | 1940年(昭和15)警視庁により検挙 | Sada Okumura | |
奥村 貞子 | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | Sadako Okumura | |
奥村 省一 | 1918年頃誕生。旭川でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、北海道で検挙 | ||
奥村 光子 | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | Mitsuko Okumura | |
於宿辰次郎 | 1892年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(47歳)。複写文書の作成、『ワッチタワー』・『通知』の筆記 | ||
於宿 ヌイ | 1901年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(38歳) | ||
於宿千代子 | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | ||
於宿 まち | |||
於宿美代子 | 1924年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21、警視庁に検挙(15歳) | ||
大森 ユリ | 1910年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(29歳) | Yuri Omori | |
大森 米吉 | 和歌山県海南市南野上で活動した大阪出身のヨナダブ | Yonekichi Omori | |
落合 三郎 | 台湾で灯台社の最初期の活動をしたと思われる。1928年-1930年ごろに明石順三が台北で開いた講演会がきっかけで活動を始める。 | Saburo Ochiai | |
勝田 義雄 | 1905年(明治38)4月25日生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(35歳)。印刷部 | Yoshio Katsuta | |
勝又 ちせ | 1867年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(72歳) |
Chise Katcumata |
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金子 信美 | 1906年頃誕生。和歌山県海南市南野上で活動した福岡県出身のヨナダブ。1939年(昭和14)6月21日、福岡県で検挙(33歳) | ||
上運天先文 | 1908年6月6日生。沖縄県島尻郡佐敷村出身。那覇でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、沖縄県で検挙(32歳) | Senbun Uunten | |
上運天ふみ | 1904年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、沖縄県で検挙(35歳) | Fumi Uunten | |
河井 運吉 | 和歌山県海南市南野上で活動した神戸出身のヨナダブ | ||
河村 秀三 | 1909年頃誕生。和歌山でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、和歌山県で県よ(30歳) | ||
木澤 鶴子 | 1908年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。国旗掲揚を拒否。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(31歳) | Tsuruko Kizawa | |
久場ミエ子 | 和歌山県海南市南野上で活動した台湾(?)出身のヨナダブ | ||
岸田 英治 | 大阪でパイオニヤ(コルポーター) | Eiji Kishida | |
岸田かめよ | 1889年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(50歳) | Kameyo Kishida | |
岸田 只七 | 1887年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(52歳) | ||
岸田慶二郎(岸田慶次郎) | 1916年頃誕生。大阪市住吉区天王寺町に居住。岸田健三の兄。香川、徳島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、徳島県で検挙(23歳) | Keijiro Kishida | |
岸田 健三(岸田謙三) | 1922年頃誕生。大阪市住吉区天王寺町に居住。岸田慶二郎の弟。香川、徳島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、徳島県で検挙(17歳) | Kenzo Kishida | |
久保川健一 | 1898年頃誕生。広島でパイオニヤ(コルポーター)。山口県で検挙(41歳) | Kenichi Kubokawa | |
久保川信子 | 1907年頃誕生。広島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、広島県で検挙(32歳) | ||
栗生亀太郎 | 1940年(昭和15)9月25日、和歌山で検挙 | ||
栗山 雅子 | 1895年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(44歳) | Masako Kuriyama | |
黒瀬 舎人 | 和歌山県海南市南野上で活動した弘前出身のヨナダブ | ||
河野 利男 | 1910年頃誕生。横浜でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、兵庫で検挙(29歳) | Toshio Kono | |
河野 淸子 | 1910年頃誕生。横浜でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月22日、兵庫で検挙(29歳) | ||
剣持 義雄 | 1911年(明治44)1月25日生。和歌山でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、和歌山県で検挙(29歳) | Yoshio Kenmochi | |
小池喜志子 | 1906年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(33歳) | ||
香坂 吉内(よしうち) | 1914年(大正3)5月10日生。台湾でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)4月に台湾で逮捕。(6月22日、検挙[27歳])。1942年(昭和17)3月18日に、結核で死亡 | Yoshiuchi Kosaka | |
小坂 金七 | 1893年頃誕生。彦根でパイオニヤ(コルポーター)。191939年(昭和14)6月21日、滋賀県で検挙(46歳)。戦後、芦屋に滞在する明石順三の下に再び集まる | ||
小坂ヌイ子 | 1894年頃誕生。彦根でパイオニヤ(コルポーター)。191939年(昭和14)6月21日、滋賀県で検挙(45歳) | Nuiko Kosaka | |
小林 伊代 | 1906年頃誕生。名古屋でパイオニヤ(コルポーター)。191939年(昭和14)6月21日、愛知県で検挙(33歳) | Iyo Kobayashi | |
小林きい子 | 1893年頃誕生。京都でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、京都府で検挙 | Kiiko Kobayashi | |
小林九十九 | 1886年頃誕生。京都でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、京都府で検挙(53歳) | Tsukumo Kobayashi | |
小林 晴子 | 京都でパイオニヤ(コルポーター) | Haruko Kobayashi | |
小林 秀雄 | 1910年頃誕生。名古屋でパイオニヤ(コルポーター)。191939年(昭和14)6月21日、愛知県で検挙(29歳) | Hideo Kobayashi | |
齋藤 光 | 1911年(明治44)2月16日生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時、通いで事務所の翻訳手伝いをしていた(29歳)。他に校正、謄写、機関紙編集、資料の収集。『通知』の編集 | Hikaru Saito | |
春藤 亀吉 | 和歌山県海南市南野上で活動した兵庫県出身のヨナダブ | ||
佐川 清貞 | 和歌山県海南市南野上で活動した栃木県出身のヨナダブ | Kiyosada Sagawa | |
重根 徳松 | 1870年頃誕生。吉本楠太郎と共に和歌山県海南で活動。1939年(昭和14)6月21日、和歌山県で検挙(69歳) | Tokumatu Shigene | |
塩見 末吉(朝鮮名:俊弼) | 1935年(昭和10)、明石順三により、朝鮮の責任者として派遣。後に文泰順の妹と結婚。京城支庫の前身である京城部隊を組織した。 | ||
下条 敏範 | 1900年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(39歳)。印刷部。戦後、エホバの証人と再会し、活動を再開 | Toshinori Shimojo | |
下条 桃代 | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | Momoyo Shimojo | |
城 菊雄 | 1902年頃誕生。台湾でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(37歳) | Kikuo Jo | |
城 マツ子 | 台湾でパイオニヤ(コルポーター) | Matsuko Jo | |
隅田 好枝 (明石) | 1916年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(23歳)。1942年の公判に出廷した5人の一人。後に明石家の幼女となり明石姓となる | birth name: Yoshie Sumida (Later, She became Junzo Akashi's foster-daughter.) |
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竹村 定好 | 1903年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(36歳) | Sadayoshi Takemura | |
竹村チカ子(チカ) | 1904年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(35歳) | Chikako (or Chika) Takemura | |
多田羅籌枝 | 和歌山県海南市南野上で活動した東京出身のヨナダブ | ||
田中 茂 | 1906年(明治39)7月6日生。北九州地方の防空演習通達の実施に対する反対を表明したとのことで尋問を受けている | Shigeru Tanaka | |
田邊富子(とみ子、とみ?) | 1896年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員。田邊とみは灯台社員から手紙を受けたという理由で熊本で検挙され、1944年に獄死(130) | Tomiko (or Tomi) Tanabe | |
千川 初子 | 1909年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(30歳) | ||
辻本 愛子 | 1908年頃誕生。岡山でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、岡山県で検挙(31歳) | Aiko Tsujimoto | |
辻本 正次 | 1903年頃誕生。岡山でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、岡山県で検挙(36歳) | ||
角田 英子 | 1906年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(33歳)。角田常次郎の妻 | ||
角田 タネ | 1902年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(37歳) | ||
角田常次郎 | 1900年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(39歳)角田英子の夫 | ||
角田 恒克 | 大阪でパイオニヤ(コルポーター) | ||
坪 政五郎 | 和歌山県海南市南野上で活動した青森県出身のヨナダブ | ||
寺井 幹彦 | 1921年頃誕生。旭川でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、北海道で検挙(18歳)。1941年12月1日、熊本県で検挙(20歳)。1942年9月獄死 | Mikihiko Terai | |
寺井つるゑ | 1897年頃誕生。神戸でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、兵庫県で検挙(42歳) | Tsurue Terai | |
寺井鉄之助 | 1899年頃誕生。神戸でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、兵庫県で検挙(40歳) | Tetsunosuke Terai | |
寺井まりゑ | 神戸でパイオニヤ(コルポーター) | Marie Terae | |
土肥 全一(どい) | 1904年ごろ生。1933年(昭和8)、検挙。 | ||
当山昌謙 | 1916年11月26日誕生。沖縄。当時の日記からの抜粋が当局の記録に残されている | Masakane Toyama | |
中尾 とく | 1900年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、石川県で検挙(39歳) | Toku Nakao | |
長縄 由三(よしぞう) | 1907年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。巡回指導者、後の巡回奉仕の僕。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(32歳) | Yoshizo Naganawa | |
長縄美彌子 | 東京付近でパイオニヤ(コルポーター) | Miyako Naganawa | |
中村 萬吉 | 1893年頃誕生。山梨県でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、山梨県で検挙(46歳) | Mankichi Nakamura | |
西川 直 | 東京付近でパイオニヤ(コルポーター) | ||
西谷 貞市 | 1911年頃誕生。旭川でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、北海道で検挙(28歳) | ||
西野 忠柳 | 1908年頃誕生。石川県鹿島郡出身。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1933年(昭和8)5月、検挙。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(31歳) | ||
西野 博子 | 1915年頃誕生。東京付近でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(24歳) | Hiroko Nishino | |
濱野 嘉市(濱野嘉一) | 1910年頃誕生。香川県大川郡相生村出生。香川、徳島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、徳島県で検挙(29歳) | ||
福富 さだ | 和歌山県海南市南野上で活動した板橋出身のヨナダブ。1940年(昭和15)警視庁により検挙 | Sada Fukutomi | |
藤井 惣治(通名:藤井 澄三) |
1901年頃誕生。藤井惣吉の次男として薬王寺に生まれる。田原本高等学校卒業後、大阪に移転。洋服屋を経営していたが、店を畳み、灯台社の活動を始める。一時期は広島で活動。京都でパイオニヤ(コルポーター)活動。1939年(昭和14)6月21日、京都府太秦の警察により検挙(38歳)。拘留中に栄養失調になり、警察の通知を受けた近親者が迎えに行ったが、一週間ほど後の1942年(昭和17)3月10日死去。 |
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藤井 愛子 | 1907年頃誕生。京都でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、京都府で検挙(32歳) | Aiko Fujii | |
1939年(昭和14)6月21日、検挙。 | |||
松沢やすよ | 和歌山県海南市南野上で活動した秋田県出身のヨナダブ | Yasuyo Matsuzawa | |
松田 重信 | 1911年頃誕生。一時パイオニヤとして活動。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(28歳) | Shigenobu Matsuda | |
松田 千秋 | 1904年頃誕生。徳島県沖州に居住。濱野嘉市と共に聖書を勉強。1939年(昭和14)6月21日、徳島県で検挙(35歳) | Chiaki Matsuda | |
松鹿 惠一(松廉) | 1902年頃誕生。和歌山県海南市南野上で活動した瀧野川出身のヨナダブ。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙(37歳) | ||
万膳 義盛 | 1913年頃誕生。別府でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大分県で検挙(26歳) | ||
● | 三浦 勝夫 | 1906年頃誕生~1957年3月24日死去。広島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、山口県で検挙(33歳)。戦後もエホバの証人として活動 | Katsuo Miura |
三浦 忠治 | 1918年1月25日生~1955年死去。明石真人、村本一生が銃器返納をしたのと同時期に、真影の拝礼拒否で不敬罪となる | Chuji Miura | |
三浦はぎの | 1913年頃誕生。広島でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、広島県で検挙(26歳)。戦後もエホバの証人として活動 | Hagino Miura | |
向野 光子 | 和歌山県海南市南野上で活動した兵庫県出身のヨナダブ | ||
村井 和水 | 1911年頃誕生。金沢でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、石川県で検挙(28歳) | Kazumi Murai | |
村井規容子 | 和歌山県海南市南野上で活動した荻窪出身のヨナダブ | ||
村井 得子 | 金沢でパイオニヤ(コルポーター) | ||
村井みね子 | 1914年頃誕生。大阪でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、大阪府で検挙(25歳) | Mineko Murai | |
村田 ゑん | 1900年頃誕生。仙台でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、宮城県で検挙(39歳) | En Murai | |
村田 操 | 1918年頃誕生。仙台でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、宮城県で検挙(21歳) | ||
村田 芳助 | 1893年頃誕生~1945年死去。仙台でパイオニヤ(コルポーター)。秋田県横手の駅長。1939年(昭和14)6月21日、宮城県で検挙(46歳)。以後、6年獄中生活。多くの拷問を受けたため、終戦出所後1か月で衰弱死(130) | Yoshisuke Murata | |
村田 律子 | 仙台でパイオニヤ(コルポーター)。村田芳助の娘の一人。一時、明石真人と結婚したが、後、離婚。戦後、出所した明石順三を出迎える | Ritsuko Murata | |
村本 一生 | 1914年誕生。軍隊で銃器返納したことで知られる | Kazuo Muramoto | |
森 義雄 | 和歌山県海南市南野上で活動した芝浦出身のヨナダブ | Yoshio Mori | |
森上 新一 | 1898年頃誕生。神戸でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、兵庫県で検挙(41歳) | ||
森上 浩行 | 1872年頃誕生。和歌山県海南市南野上で活動した兵庫出身のヨナダブ。1939年(昭和14)6月21日、兵庫県で検挙(67歳) | ||
山崎 里江(山崎 りゑ) |
1909年か1910頃誕生。山形県米沢市出身。灯台社事務所で『黄金時代』誌の印刷を担当。1931年に団体が「エホバの証者」の名称を採択した際に、日本で発表の短波放送を聞いていたという。1939年(昭和14)6月21日、ベテル員だったが、第二次一斉検挙で警視庁に検挙。1970年(昭和 45)頃、エホバの証人と再会し活動を再開する。1998年(平成10)死去。 |
Rie Yamazaki | |
山崎 豊子 | 東京付近でパイオニヤ(コルポーター) | ||
山田しず子 | 和歌山県海南市南野上で活動した神戸出身のヨナダブ | Shizuko Yamada | |
山田 春一 | 1896年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(43歳) | ||
山田 タネ | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | Tane Yamada | |
山田 勝之 | 1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員 | Katsuyuki Yamada | |
山田 九平 | 1940年(昭和15)10月4日、和歌山で検挙 | Kyuhei Yamada | |
山田 幸子 | 1920年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(19歳) | ||
山田夫美子 | 東京付近でパイオニヤ(コルポーター) | Fumiko Yamada | |
山田 夕子 | 1893年頃誕生。1939年(昭和14)6月23日、警視庁に検挙(46歳) | Yuko Yamada | |
山崎 芳子 | 和歌山県海南市南野上で活動した王子出身の | ||
葉 フミイ(吉沢 文江) | 1910年頃誕生。看護婦で新潟の灯台社員。金沢でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、石川県で検挙(29歳)。葉 国燕の妻 | Fumii You (or Fumie Yoshizawa) | |
横岡 正英 | 1940年(昭和15)9月25日、和歌山で検挙 | Masahide Yokooka | |
吉成 栄子 | 1915年頃誕生。一時パイオニヤとした隅田好枝と活動。1939年(昭和14)6月21日、警視庁に検挙 | ||
吉村ハツエ | 1940年(昭和15)9月25日、和歌山で検挙 | Hatsue Yoshimura | |
吉本楠太郎 | 1877年頃誕生。和歌山県海南市南野上で活動したヨナダブ。1939年(昭和14)6月21日、和歌山県で検挙(62歳) | Kusutarto Yoshimoto | |
脇川 清 | 戦後、芦屋に滞在する明石順三の下に再び集まる | Kiyoshi Wakikawa | |
脇川すみ子 | 1902年頃誕生。神戸でパイオニヤ(コルポーター)。1939年(昭和14)6月21日、兵庫で検挙(37歳) | Sumiko Wakikawa | |
出井 みよ | 1937年台湾でバプテスマ | Miyo Idei | |
須磨浦聖書講堂の関係者 | Most early members (-1926) | ||
明石 静栄(旧姓:津越->神田->) | 1887年生~1944年獄死。順三の妻。元々、須磨浦聖書講堂のメンバーであり、神田繁太郎の早世した兄の妻であった。灯台社員として活動。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(53歳)。賄い主任 | Shizue Akashi | |
赤松 今朝松(けさまつ) | 1904年(明治37)4月15日生。後に、灯台社の主幹代理として活動。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時のベテル員(36歳)。事務、特に印刷部の指揮監督。1930年(昭和5)頃から巡回指導者、後の巡回奉仕の僕。(名前を朝松としている資料もあるが誤り) | Kesamatsu Akamatsu | |
井上隣太郎 |
1989年(?)生。神田繁太郎の従弟にあたる。須磨浦聖書講堂は、井上氏の貸家に看板を掲げた所だった |
Rintaro Inoue | |
宇野千代子 | Chiyoko Uno | ||
神田繁太郎(こうだ) | 1882年(明治15)生。Watch Tower Societyが1912年に発行した「世々に渉る神の経綸」の読書をきっかけに同団体の文書を私訳して近隣のメンバーと須磨浦聖書講堂で勉強会を開く。明石の来日を迎えた最初期のメンバー。1960年(昭和35)11月18日死去。 | Hantaro Koda | |
後藤 愛子 | 1904年(?)生 | Aiko Goto | |
後藤 亮 | 時計商を営んでいた。帰国した幼い明石順三の三人息子をあずかり世話をした。「灯台』誌の初期発行住所 | ||
酒井醇一郎 | 初期メンバーの一人 | ||
田中 咲子 | 灯台社員として活動 | Sakiko Tanaka | |
田淵 一雄 | 1900年(?)生 | Kazuo Tabuchi | |
津越 隆逸 | 明石(神田)静栄の実弟 | ||
野元仁之助 | |||
平泉 君子 | Kimiko Hiraizumi | ||
神田モード(モード・神田) |
1884年7月25日誕生。繁太郎の妻。1918年(大正7)10月15日に内村鑑三からバプテスマを受けている。初期の灯台社員として活動した。戦時中は灯台社員の活動に関連しての記録には出てこないが、戦後間もなくエホバの証者の信仰を再開したことが知られている。 1963年(昭和38)8月27日死去。 | Maud Koda | |
占領統治下の朝鮮総督府信者 | Korea | ||
李雲郷(이운향 イ・ウニャン) | 1877年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(62歳) | ||
李侍鍾(이시종 イ・シジョン) | 1908年頃誕生。1930年バプテスマ。戦後もエホバの証人として活動 | ||
李貞相(이정상 イ・ジョンサン) | 玉礼俊の妻。1937年11月19日、バプテスマ。1939年11月、ピョンヤンで逮捕。東大門(トンデムン)警察署に留置、後、西大門(ソデムン)刑務所に移送。戦後もエホバの証人として活動(146) | ||
李仁遠(이인원 イ・イノン) | 男性。1916年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(23歳)。戦後もエホバの証人として活動(166) | ||
李炳俊(이병준 イ・ビョンジュン) | 1916年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(23歳) | ||
伊樂龍(이악룡 イ・アンニョン) | 1909年頃誕生。1939年(昭和14年)6月29日、朝鮮で検挙(30歳) | ||
玉應斗(옥응두 オク・ウンドゥ) | 玉家族の息子の一人。1937年11月19日、バプテスマ。戦後もエホバの証人として活動(146) | ||
玉應連(옥응련 オク・ウンニョン、日本名:玉井 良介) | 1916年頃誕生。玉家族の息子の一人。1937年11月19日、バプテスマ。明石順三が訪韓の折り、日本での協力者を求めたのに対し、当時朝鮮の責任者であった文泰順が崔容源と共に推薦したため、日本に渡った。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時の日本のベテル員(23歳)。印刷部。荷造り運送、朝鮮語の、『通知』と印刷物の作成。1942年日本で獄死。他の3人の兄たちは戦後も韓国でエホバの証人として活動 | ||
玉智俊(옥지준 オク・チジュン) | 1910年頃誕生。玉家族の次男。1937年11月19日、バプテスマ。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(29歳)。戦後もエホバの証人として活動(146)。(こちらのページでは玉氏の親族の声をRealPlayerで放映している。(コリアン、英語)) | ||
玉桂星(옥계성 オク・ケソン) | 黄海道鳳山郡出身の農民。玉家族の父親。1940年10月、朝鮮で検挙。 | ||
玉礼俊(옥예준 オク・イェジュン) | 1905年頃誕生。玉家族の長男。1937年11月19日、バプテスマ。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(34歳)戦後もエホバの証人として活動(146) | ||
郭正根(곽정근 クァク・チョングン) | 1912年ごろ生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(27歳) | ||
姜在燮(강재섭 カン・ジェソプ) | 1910年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(29歳) | ||
姜周煥(강주환 カン・ジュファン) | 1912年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(27歳) | ||
韓順基(한순기 ハン・スンギ) |
1891年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(48歳)。獄死(The Broken Rifle-Newsletter of War Resister's International No.59 Nov. 2003) |
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姜範植(강범식 カン・ボムシク) | 灯台社の活動が始まる以前から朝鮮支部の主任をしていた。その後、活動をしなくなったため1927年(昭和2)明石順三により罷免 | ||
魚台愚(어대우 オ・デウ) | 1911年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(28歳) | ||
金愛楽(김애락 キム・エラク) | 1880年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(59歳) | ||
金漢承(김한승 キム・ハンスン) | 1888年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(51歳) | ||
金基定(김기정 キム・ギジョン) | 1890年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(49歳) | ||
金奎玉(김규옥 キム・ギュオク) | 1896年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(43歳) | ||
金国信(김국신 キム・グクシン) | 1868年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(71歳) | ||
金朱玉(김주옥 キム・ジュオク) | 戦中、投獄された | ||
金秉鎮(김병진 キム・ビョンジン) | 1918年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(21歳) | ||
金瑞根(김서근 キム・ソグン) | 1908年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(31歳] | ||
金福女(김복녀 キム・ボンニョ) |
玉智俊の妻。1937年11月19日、バプテスマ。6年間拘禁。戦後もエホバの証人として活動 |
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洪恩順(홍은순 ホン・ウンスン) | 1909年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ(コルポーター)。1939年、朝鮮で検挙(30歳) | ||
黄鶴烈(황학렬 ファン・ハンニョル) | 1873年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(66歳) | ||
徐丙仁(서병인 ソ・ビョンイン) | 1878年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(67歳) | ||
孫実成(손실성 ソン・シルソン) | 1915年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(24歳) | ||
張順玉(장순옥 チャン・スノク) | 女性。1917年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(22歳)(こちらのページでは当時の様子をRealPlayerで放映している。(英語)) | ||
崔景鸞(최경란 チェ・ギョンナン) | 1914年頃誕生。1939年(昭和14)6月21日、日本で警視庁に検挙 | ||
崔性圭(최성규 チェ・ソンギュ) | 1899年頃誕生。1939年(昭和14)2月、ソウルの東大門警察署により逮捕。刑務所で20日間高地されたが腸チフスにかかり病院へ移送後、釈放。6月29日、朝鮮で再検挙(40歳)。1941年9月、釈放8時間後に死去 | ||
崔斉亭((최제정 チェ・ジェジョン) | 1915年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(24歳) | ||
崔福寿(최복수 チェ・ボクス) | 1940年(昭和15)当時、朝鮮でパイオニヤ | ||
崔容源(최용원 チェ・ヨンウォン。または崔鏨鸞。日本名:佐野要三) | 明石順三が訪韓の折り、日本での協力者を求めたのに対し、当時朝鮮の責任者であった文泰順が玉應連と共に推薦したため、日本に渡った。1939年(昭和14)6月21日の第二次一斉検挙当時の日本のベテル員。荷造り運送、朝鮮語の、『通知』と印刷物の作成。日本で戦後釈放、後に朝鮮に戻る。その後もエホバの証人のメンバーとして活動 | ||
朴玉姫(박옥희 パク・オックイ) | 崔性圭の妻。1941年(昭和16)9月、再逮捕。15日間の拘留後、釈放。1942年9月、4度目の逮捕、後、西大門刑務所に収監。 | ||
朴相七(박상칠 パク・サンチル) | 1907年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(32歳) | ||
朴海彦(박해언 パク・ヘオン) | 1883年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(56歳) | ||
朴珪采(박규채 パク・キュチェ) | 1916年頃誕生。朝鮮でパイオニヤ。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(23歳) | ||
朴元淑(박원숙 パク・ウォンスク) | 崔福寿の妻 | ||
朴大敬(박대경 パク・テギョン) | 1904年頃誕生。1939年(昭和14)6月29日、朝鮮で検挙(35歳) | ||
朴旼濬(박민준 パク・ミンジュン) | 1927年に姜範植の後任として明石順三が朝鮮の主任として任じた | ||
文泰順(문태순 ムン・テスン) |
1904年頃誕生。黄海道甕津郡北面鳳所里出身。1935年、朴旼濬の後、朝鮮の責任者をした。朝鮮でパイオニヤ(コルポーター)。1939年、朝鮮で検挙(35歳)。獄中死 |
Tae-soon Moon | |
台湾の人たち | Taiwan | ||
アパン | 1916年頃誕生。熟審人。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(23歳) | ||
池畑 富夫(日本名) | 1915年頃誕生。熟審人。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(24歳) | Tomio Ikehata (Japanese name) | |
葉 国燕(日本名:山本 耕一) | 1914年(大正)11月生。日本の金沢でパイオニヤ(コルポーター)。葉フミイの夫 。1939年(昭和14)6月21日、石川県で検挙(26歳) | Ye Guoyan | |
卓 天生 | 1904年頃誕生。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(35歳) | Zhuo Tiansheng | |
田村 透(日本名) | 1900年頃誕生。熟審人。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(39歳) | Toru Tamura (Japanese name) | |
陳 寛培(日本名:出井 尤裕[もとひろ]) | 1905年頃誕生。日本人?和歌山県海南市南野上で活動した台湾出身のヨナダブ。1937年台湾でバプテスマ。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(34歳) |
Chen Kuanpei |
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ツー・チン・テング | 台中郡クアン・シャンの代書屋。1938年1月、バプテスマ | ||
ニガイ | 1912年頃誕生。熟審人。1939年(昭和14)6月22日、台湾で検挙(27歳) | ||
ユエー・クオ・ユイン | 1930年頃、落合三郎と活動をしていたことが知られている | ||
林 | 1938年、12歳の時にバプテスマ。戦後もエホバの証人として活動 | ||
その他の関係者 | Other Persons Concerned | ||
R・ロバート・ハリスター |
1883か1884年ごろ生?灯台社が設立される前の1912年から1914年頃の間に日本で活動。『世々に渉る神の経綸』の発行責任者。1980年10月28日、96歳で死去。 | R Robert Hollister | |
小河内須磨子(おがわち。婚姻時の姓:明石) |
1891年7月15日生~1982年7月死去。順三がアメリカで結婚した最初の妻。順三が来日することになった時、アメリカに残った。順三の3人の息子は須磨子夫人の子供である。山口県岩国出身。日本基督教会の牧師、小河内碧の娘。サンフランシスコに住み続け1973年にはエホバの証人の大会の出席のために来日。後年は帰国し、東京都練馬区に居住後、死去。 | Sumako Ogawachi (Sumako Akashi) | |
斎藤 実(まこと。前首相) | 第31代内閣総理大臣(1932.5.26-1934.7.8)。二・二六事件で暗殺されたが、生前は親しく明石順三の話を聞くこともあったそうである(63) | Makoto Saito | |
ファニー・L・マッケンジー | 1858年生。灯台社の活動前、1915年に日本で『世々に渉る神の経綸』を配布、貸与の活動。1962年死去? | Fanny L. Mackenzie | |
フレデリック・ホーマー・ロビソン |
1885年2月3日、インディアナ州グリーンウッド生。日本で宣教師になることを希望し、ラッセルの著作を読むようになった時に日本語訳を試みる。1932年死去。 | Fredrik Homer Robison |
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